二十六聖人の殉教
一つ前の「大ちゃん事件」の記事で過剰な信仰は時に剣呑だと書きましたが、それが良い方向に転じた事例が遥か昔にありました。
それは「二十六聖人の殉教」という豊臣秀吉が生存していた時代に起こった出来事。
ときはキリスト教が広まった日本。
そのとき秀吉は[キリスト教禁教令]という、キリスト教の信仰を禁止する命令を発令しました。
それによって宣教師6名と日本人信者20名が役人により、十字架へ磔にされ惨い仕打ちの末に殺されたのです。
この26人の内、最年少で12才の[ルドビコ茨木]という快活な少年がいました。
彼は十字架に向かう道中、役人に「信仰を捨てれば助けてやる」と言われましたが、「束の間の命と永遠の命を取り替えるわけにはいかない」と跳ね返したのです。
このやり取り、たとえ子供だろうと篤い信仰心というものは、いかなる試練にも屈しない強硬なものだということを感知させる一幕だといえます。
さらに彼は十字架を目の当たりにすると、喜びに満ちた表情で駆け寄っていき、死の間際まで明るさを失わなかったといいます。
キリスト教への信仰によって潔く死を受け入れ、現世への未練・執着・秀吉と役人への恨みは一切ありませんでした。
美しく壮大な最後を迎い入れ、死という究極の救いを得たのです。
これこそ信仰の賜物であり、篤信家の素晴らしい代表例。
信仰心を持つことは自由ですが、使用を誤ると悪路を進むこととなります。
信仰心はその人の使い方次第で幸福にも不幸にもなるものです。
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