霊の書11
アランカーデックの霊の書。
フランスの科学者カーデックが友人の娘を霊媒として受信した霊示。
1856年の出版以来その発行部数は数知れない。
シルバーバーチの霊訓等と並び称される世界三大霊訓の一つ。
ここでは、霊の書(上)より貴重な霊的真理をいくつか記す。
Q「再生した時、霊は前生の感じとか知識の痕跡を、残しているものですか」
A『かすかな記憶、いわゆる生得の観念というものがある』
Q「生得の観念という見解は、妄想ではありませんか」
A『いや違う。それぞれの人生で獲得した知識は失われるものではない。
肉体は消えても、霊は学びとったものを記憶している。再生すると、部分的にはまた一時的には忘れもするが、一度知った一切は直覚となり、本人の進歩を助けるものだ。
もし過去の知識が直覚として残らなければ、彼はいつも、新しく同じ事を繰り返さねばならなくなる。
霊は次に再生すると、前生に近い所、即ち彼が既に到達していた次の点から出発する』
Q「そうしますと、前生と次生との間には、きわめて密接な結びつきがある筈ですね」
A『その結びつきというのは、諸君が想像する程、密接なものではない。
何となれば、二つの人生の境遇や状況は、しばしば非常に違ったものであり、また、その間(霊界の生活で)霊は相当な進歩を遂げているかもしれないからである』
Q「前もって勉強もしないのに、直感的にある特殊な知識、たとえば語学とか数学とかの知識を、もっているような人々の異常な能力の原因は何ですか」
A『前生のほのかな記憶によるのである。即ち、魂が以前になし遂げた進歩の結果である。
但し、本人はそんなものを自分が今もっている意識は一向にないのだが。
この直覚は何から出てくるのか。肉体は変わる、しかし、霊は不変である。その外被を変えても』
Q「神は存在するという直覚や、死後の生存の予感は、潜在する前生の記憶から出るのですか」
A『そうだ。生まれる前、霊として知っていた知識が、潜在的な記憶として残っていて、これから発している。しかし高慢な人は、この感じを押し殺してしまう』
Q「神霊主義的な考え方や信念も、やはり同じ記憶から発しているのですか」
A『このような考え方は、世界とともに古く、世界のどこに行ってもある。
即ち神はいずこにも在りいつの時代にも在り給うからである。
霊は肉体をまとって後も、霊であったときの直覚があり、従って目に見えない世界に、本能的な意識をもっている。
だがこの直覚は偏見によってしばしば歪められたり、無知から出た迷信を混入して、堕落したものとなることが多い』
0コメント