適職と天職
●「適職」
自分が生まれつき持っている資質の中でお金を得ることができる技能を生かした職業。
たとえば、気配りが得意という人がサービス業に就いた場合、それは適職となります。
また、手先が器用という人が畳職人になって良質な畳を作れば、それも適職。
ただし、その仕事をすることに百%の喜びを感じられるかどうかは、また別の問題になります。
人にサービスはできても、本当は人付き合いが好きではないという人もいるし、畳作りが上手でも、完成した製品に愛着はないという人もいるでしょう。
けれど、人にお金を払ってもらえるだけの仕事が確実にできるなら、それは適職なのです。
●「天職」
天職はお金とは関係ありません。
自己の魂が喜ぶ仕事。
たとえば、好きで好きでたまらないこと、放っておくと時間が経つのも忘れて没頭できるようなこと。
そして、その中で自分の理想をとことん追求できるし、お金にはならなくてもその仕事を通して多くの人に役立つことができる。それが天職です。
以下に例を幾つか挙げます。
・日曜大工が好きで友人宅にウッドデッキやラックを作る。
・野球が得意で土日に小学生の野球クラブのコーチを務める。
・英語がペラペラなのでボランティア精神で外国人に日本語を教える。
・料理が好きで得意なのでクックパッドにレシピを掲載する。
・動物が好きなので愛護団体に属する。
・車が好きで詳しいので知人の車修理を無償でやる。
以上のように趣味の延長となることが天職と化します。
もしも、天職にお金が絡んできた場合、それは天職とは遠ざかって適職になってしまいます。
江原啓之さんも仰っていますが、適職と天職の両方を持つことが好ましいのです。
どちらか片一方では人間ダメになってしまいます。
天職だけではお金は稼げません。
魂はウキウキワクワクしていますが、この物質界ではお金がないと生きれません。
お金は多少なりとも魂成長に一翼担っています。
ですから、僅かでもお金を稼げる適職も必要。
反対に、適職だけというのも肉体と心がもちません。
仕事(適職)だけをして疲労困憊になっていては、魂が笑顔になることはないのです。
魂に休息や喜び、感動を与えることが大切。それこそ私たちが生きる意味です。
肉体にも魂にもメリハリをつけてあげるのです。
現世での旅路を終えるためには、適職と天職のバランスを上手くとることが肝心です。
一方に傾くことも、天職でお金を得ることもタブー。
どちらの職も均等に光り輝き、魂成長の後押しとなることが望ましいのです。
適職よりも天職を見つけるほうが困難ですが難しく考えることはありません。
自分の好きなことを拡大化させ、人を喜ばせて救済すればいいだけなのですから。
両方の職に就いたとき守護霊らサポート霊魂たちは大いに感動します。
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