悪果or宿命
2つ目は、カリキュラムに組み込まれた宿命のパターン。
また、「病気」も先天的な病と後天的な病の二種類あります。
先天的な病は先述したように宿命の一部。
その人が霊界にいた時分に自らの意思で選択した乗り越えるべき試練。
生まれつき目が見えない。心臓が悪い。片脚がない。など、誕生した瞬間にハンディキャップを背負っている場合、ほとんどが「宿命の病」と言えるでしょう。
その病を乗り越えた先に真の幸福と魂成長が待っているのです。
一方、後天的な病は冒頭で紹介したように因果律が関係しています。
煽ったから、煽られた。と、お伝えしましたが、全てのケースでそっくりそのまま自分の悪行が返ってくるとは限りません。
人を煽って恐怖と不快感を植え付けた代償は、骨折や盲腸、癌などの病と化して加害者を苦しめ気づきを与えるのです。
一度煽り運転をしただけの報いが癌…? と、お思いでしょう。
しかし、その大きな代償は、これまでに溜まった悪因の結果がまとめてやってきたにすぎません。
神の定めた摂理(因果の法則)は寸分の狂いもない完璧なものですから、悪人がしっかりと悪い種を刈り取るように調整されているのです。
風邪でも中耳炎でも捻挫でも、病気になったということは、そこに行きつくまでの過程で悪因を積んでいたということ…。
犯罪被害者になることも、病気になることも、因果応報、もしくは自分で決めた課題の一つ。
それがどちらなのかは深い内観を行えば大方予想がつきます。
ここで、一つ確実に断言できることがあります。
それは、悪果だろうが宿命だろうが、どちらにしても「責任」は自分にあるということ。
悪果ならば因果応報。宿命なら自分で下した決断。
間違っても他者や環境のせいにしてはいけません。
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