仏陀の言葉5
●自分の良くないところは自分では見えにくい
他人の良くないところはとてもよく見えるし、ついつい調子にのって指摘したくもなる。
見えにくいのは、君自身の良くないところ。
自分は「いい人」のつもりでも、実は他人に善意の押し売りをしていたりするかもしれない。
誠実に謝罪しているつもりでも、実は許してもらえないとすぐ腹を立ててしまう偽善者だったりするかもしれない。
こういう「歪んだ自分の本性」こそが見えにくい。
他人の問題点を指摘することで、「ちゃんと指摘できる立派な自分には問題がない」と錯覚するがゆえに、自分自身の問題点が隠されてしまう。
それはまるで、ギャンブルでサイコロを振って、自分に不利な目が出たらイカサマして隠してしまうギャンブラーのよう。
法句経252
●自分の内面に目を向ける
自分の内面を見つめることは、ぼんやりした意識をしゃんと覚醒させる。
「あ、今、サボって遊びたい欲望が生まれた」
「あ、今、上司への怒りが生まれた」
「おや、怒りが消えていった」
「あれ、今度は甘えが生まれたみたい」
「今は、漠然と不安になっているようだ」
こうやって意識が自分の内面に向かい、それに君がいつも気づいていられるのなら、混乱した心が整理され、明晰になる。
法句経21
●自由の身へとたどりつく人
自分の内面の変化を見つめようと、絶えまなく自らに向き合う人は、それにより「瞑想者」と呼ばれるにふさわしい。
自分自身の内面を見張りつづける人は、心の安らぎと自由にたどりつく。
遺伝子の生存本能に支配され、無意識的に暴走させられつづけてきた奴隷のような状態から、ついに自由の身へとたどりつく。
法句経23
●人の悪口に夢中になる理由
愚かにも、自分を背後から操る無意識の命令に気づかず、自分が心の闇に操られているのを知らないままの人々は、自分の心の奥底がどれだけドロドロに汚れているかなんて知りもしない。
そんなイヤな真実を見たくないからこそ君は、自分の内面から目をそらすことに専念する。
内面から目をそらすために、他人の悪口を言ったり、映画やゲームやドラマの世界に浸ったり、好きな音楽や思想に夢中になり依存する。
心の自由を求める人は、自らを支配する依存症や嫌悪感の正体を見極め打ち破るべく、自分の内面を見張り自分の心の奥底へと探検することにこそ専念する。
法句経26
●娯楽や無駄話に夢中になる理由
自分の内面を見張るのを怠って、自分をごまかす娯楽や無駄話に夢中にならないように。
それがもたらす見せかけの楽しさに屈服することなく、自分の内面で「今、何が起こっているか」を見張りつづける瞑想者は、やがて心の安らぎにたどりつく。
法句経27
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