動物にまつわること2
【死期】
動物は自分の死期を受け入れています。延命を望むのは人間のエゴ。動物たちの意志ではありません。
人間は長命を願いますが、動物は未練・執着がありません。ですから、何歳まで生きたいという欲はないのです。
死を前に何も食べなくなったり、ふらりと姿を消したりもします。「死にたくない」と思ったりしないことは念頭に置いておいてください。
【安楽死】
人間の安楽死は一種の自殺。でも、動物の安楽死はやむをえない面があります。
治る見込みがなく、息絶えるまで苦痛が続くのなら、その子のために安楽死を選択することも致し方ありません。
大事なのは「動機」です。誰のための延命や安楽死なのか。それをよく考えて決断しなければなりません。家族のなかで意見が分かれるかもしれませんが、一番は「動物に聞く」こと。
どれだけ苦しいのか様子をしっかりと見て、考えてあげましょう。
【カルマ】
動物虐待ならびに捨てる行為、ネグレクト、これらは当然ながらカルマになります。
最近ではSNSが普及したために、動物虐待の動画をアップするキチガイが実存します。動画をアップロードした犯罪者はもちろんのこと、それを興味本位で視聴して喜んだ輩もカルマとなり大きな災いに見舞われます。
こうした動物虐待は本国の法律では器物破損扱い。なので罰則が軽すぎるのです。
しかし、それはあくまでも現世の視点。やがて霊的世界に帰還したとき、そこで自らの行いを反省することになります。
死ねばそれで終わりではありません。魂は永遠ですから、死に逃げは絶対にできないのです。神の摂理であるカルマの法則(因果の法則)は罪人が地獄の底にいても追いかけ徹底的に懲らしめます。
【働く動物】
動物園やサーカスで芸をする動物や競走馬について「動物虐待だ!」と批判する人がいます。確かにその必要がないのに鞭で打ったりしているのであれば明らかな虐待ですが、芸や競走をすること自体まで、虐待とすると言いすぎでしょう。
水族館で芸をしているアシカやイルカも、人間から見れば芸ですが、動物たちからするとどれも遊んでいる感覚なのです。
そして競走馬は走るという本能を生かしているものだと考えれば、無理はさせていないと言えるでしょう。
人間側がカワイソウというフィルターをかけて見ているだけで、動物たちに気持ちを聞けば、人間と触れ合って生きることや調和できていることに「喜びを感じている」と答えるでしょう。
テレビや映画に出ている芸能犬についても同じ。人に楽しんでもらえること自体が喜びになっているのです。
結局のところカワイソウに見えるか否かは、受け手のフィルター次第ということ。苦痛ではなく喜びがあれば、虐待ではありません。
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