霊の書7
アランカーデックの霊の書。
フランスの科学者カーデックが友人の娘を霊媒として受信した霊示。
1856年の出版以来その発行部数は数知れない。
シルバーバーチの霊訓等と並び称される世界三大霊訓の一つ。
ここでは、霊の書(上)より貴重な霊的真理をいくつか記す。
Q「霊はその形成の初期において、自己のすべての能力を具えていますか」
A『いや、霊にも人間同様に幼年期がある。その初期は、霊は本能的な生活をするのであって、自分や自分の行為については殆んど意識をもっていない。知性は徐々にしか発展しない』
Q「霊が初めて肉体をとった時の状態はどうですか」
A『人間の幼児に似た状態である。知性がやっと芽を吹きはじめたところで、生きることを試みているという状態だ』
Q「野蛮人の魂は、幼児期の魂ですか」
A『どっちかというとそうだ。だが、彼等は情緒をもっているから、相当程度進歩した魂ではある』
Q「では、情緒のしるしですか」
A『進歩のしるしである。しかし、完全のしるしではない。それは活動のしるし、また「我」を意識しているしるしである。反対に、魂が初期の段階では、知性も活力も種子としてあるだけである』
Q「もし、吾々が現在この世で完全な生活を送ったとすれば、途中の段階をとび越して、清浄霊の状態に到達することは可能ですか」
A『それは出来ない。人間が完全と考えるものは、完全から未だ遙かに遠い。
人間にはかり知れないものが存在する、現在の人間が背伸びをしても無理なあるものが。
かりに、人間が地上の尺度で完全としても、真の絶対の完全からみれば、まだ遙かに遠い。
それは丁度、早熟な子供のようなもので、早熟とはいえ、やはり大人になるためには、青年期を経過せねばならない。また完全な健康になるために、回復期を通らねばならない病人に似ている。
しかもなお、霊は道徳性と同様に知識の点でも進歩せねばならない。かりにその一方だけ進歩しているとすれば、完全の頂上に達するためには、他の半面でも等しく進歩の要がある。
しかしながら、次の事だけは確かである、即ち、人が現在の生で進歩するなら、次の生存で受ける試練の時間は短くなり、またその苦痛も少なくなるということである』
Q「次の人生で、既に彼が到達している点よりも、低い点に下がることがありますか」
A『社会的地位のような意味でなら可能だが、霊としての進歩の程度という意味でなら不可能である』
Q「善人の魂が、次の人生で、無頼漢となることがありますか」
A『ない、霊魂が退歩することはないからだ』
Q「悪人の魂が善人の魂に変わることがありますか」
A『もし、悔悟しているなら、あり得る。その場合、彼の次の人生は、改善の努力のたまものとしての人生である』
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