信仰心は霊性進化で重要
信仰とは⇒神や仏などを信じること。ある宗教の教えを受け入れて拠り所とすること。
※Wikipediaより
信仰心を持つことはとても大切である。
宗教にしても、スピリチュアリズムにしても、哲学にしても信仰対象を見つけること。
そうすると己の信念や軸がぶれることはない。
江原啓之さんは自身の著書【スピリチュアリズムを語る】の中で……なぜ宗教があるのでしょう?
という問いに対して、本当の宗教とはもっと個々の問題のはずだと仰っています。
江原さんは【一人一宗教】と呼んでいますが、本来【自分の宗教は自分】なのです。
スピリチュアルに見れば、誰の中にも【神我】が宿っている。
つまり、自分自身と対峙することがイコール【内なる神】と向き合うことになる。
これを読んだときとても衝撃を受け、心底感銘した。
なぜなら私はこの書籍を読む以前から【小さな神】である私たち人間(自分自身)を信じて仰ぎ見る対象であると確信していたから。
※このブログタイトルにもある【信仰は自分自身が教祖様】にもそういった意味が込められている。
「一人一宗教」この5文字の言葉の中には信仰の真理が秘められていると思う。
●江原さんが講演会や書籍の中で度々紹介する教訓話がある。
ある村に信仰深いおばあさんがいて、いつもお祈りを欠かしませんでした。
あるときその村に大水がやってきて、村はどんどん沈んでいきます。すると1人の青年がそのおばあさんに気がついて、船をこいで迎えにきました。
「おばあさん、早く乗って」と言うのに、おばあさんは「私は信仰しているから絶対に大丈夫。あんたは行ってくれ」と頑なに船に乗るのを拒みます。渋々若者は去っていき、結局おばあさんは溺れて死んでしまいました。
おばあさんはあの世に行ってから、神様に「私はこんなに信心しているのに、どうして助けてくれなかったんだ」と文句を言いました。
すると神様は、こう答えたそうです。「だから青年を差し向けたではないか」と。
おばあさんのような神に対する信仰心にしても、思想が固まってしまい目の前の真実が見えていないのでは本末転倒である。
宗教の教えでも受け入れて信じる心は大切ですが、妄信状態に陥り自分を見失っていては信仰の意味がない。
私たちはそれぞれに課されたカリキュラムを成し遂げ、魂の浄化・向上と霊性進化を目指していま
す。
その目標を達成するのには、信仰心という見えないものは必要不可欠ではないだろうか。
特にスピリチュアリズムは現代を生きる私たちにはとても重要な【哲学】である。
その哲学を探求し、理解して、人生の土台として生きたとき私たちは自己の中に存在する内なる神と向き合い、霊性進化(魂向上)へと真摯に取り組むことができるはずだ。
そこで、現世に生まれた意味・現世で生きる意味を知ることになる。
——そして死後の世界の真実も。
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