足るを知る
仏教の教えに【足るを知る】というものがある。
分相応に満足し、それ以上を望まないという考えだ。
【足るを知る者は富む】という言葉もある。たとえ貧しくとも、満足することを知っている者は、精神的に豊かで幸福であるということ。
【少欲知足】これも同じような意味で欲を少なくして多くを求めず、現状で満足を知るというものである。
足るを知ることを理解して、生活に取り入れることを推奨したい。
人の欲望にはキリがないと思う。
食欲、物欲、性欲、金欲など無限にある。
分相応以上を求めるのを否定するわけではないが、「足るを知る」ことを知っていれば人は豊かに生涯を送れるのだ。
人は、「あれもこれも食べたい、ブランドの服が欲しい、給料をもっとあげてくれ」など、今あるものより多くを望む傾向がある。
お金がなくて大変だと嘆く人がいつの時代も多々いるが果たして本当にそうだろうか?
世界各地には小銭一枚も所持していない人たちが大勢いる。明日、食べる物があるのかも分からない不安定な生活を送っている子供もいるのだ。
そう思うと、私たちの生活は裕福以外の何ものでもない。
「現状満足」といったこれだけで十分! という思想に変わらないのだろうか?
あれもこれも足りないではなく、これがあるから十分だ。現在ある物でどうやって生きていくのか。現在あるお金でどのように生活を営むか。
現状に満足・感謝して、その中で生きていくことだ。
現状にあるもので満足する生活を少しでも続けることが、物質主義の考えから離れ【精神主義者】になれるはずだ。それによって本当の幸福を得ることができる。
精神的に豊かというのは真の幸せであると思う。
【どれだけ現世で物質を取得しても、霊界へ所持していくことはできない】
物質に恵まれている先進国の日本では、足るを知るを生活に取り入れるのは難しい。
⇒それに、人間はある欲求が一度満たされてしまうと、そこでの充実感が当たり前のものになってしまうのだ。同じ階層では新たな満足感を感じられない。
少欲知足人間になる第一歩は、身の周りにある物を捨てていく。
どんな物でもいい。着なくなった服や読まない本、一年以上触れてない物(一年も触っていないということは生活していくうえで必要ない)等々。
⇒捨てることに躊躇があるならば、人にあげたり、お店に売ったりすればいい。
そうやって減らしていき、残った物で満足して生きていくこと。
物が少数になるとそれを大切に扱うことができる。
例えば、ジーパンを一着だけにする。
すると、その一着のジーパンに愛着心や有難みが生まれる。
ズボンが一つあるだけで感謝⇒事足りる⇒無いよりマシだ。という思考回路に変化していく。
物が減ると身も心も楽になる。風水的にも物が多い家というのはよろしくない。
物を捨てる躊躇がなくなれば、お次は執着心を捨てること。
物にも人にも執着する心があると、己を見失い強欲になる。
ないものねだりは時間の無駄だ。本来やりたい事ができなくなる。
※以前視聴した映画で「強欲は罪」というセリフがあった。
罪とは言いすぎだが、強欲は人間同士の醜い争いや環境破壊に繋がるのではないだろうか。
強欲の果ては犯罪をも起こり得る。
だとしたら、ある意味強欲は罪なのかもしれない。
江原さんは自身の著書「スピリチュアル幸運百科」の中で、足るを知るに通ずることを書いている。「なぜモノを増やしてしまうのでしょう。なぜ捨てられないのでしょうか?」
「それは心の寂しさに原因があります。心が強い人はモノを必要としません。
たとえ裸一貫になっても大丈夫という自信が自分にあるからです。
反対にあれもないと不安、これもないと自身がもてないという心は、散らかった状態をつくりだします。
精神的に満たされている人ほど、モノを必要としないようです」
【足るを知るメリット】
・豊かに生きられる
・心が楽になる
・自分の時間が保たれる
・精神主義者になれる
・浪費しない
・部屋も心も汚れない
・健康体になれる
・病に侵されない
・迷いがなくなる
・小さな幸せでも過大に感じられる
・幸福度が高くなる
・故に人生幸福
・それ見て先祖歓喜、守護霊感心
⇒足るを知るには【現状に感謝】をしなさいという教えも秘められている。
――目覚ましい言の葉を頂戴しました。――老子に感謝。
●仏陀の言葉
【自分に与えられているものを見る】
君が、君の手に与えられたものを見ず、他人の手に与えられたものを「いいなぁ。欲しいなぁ」と羨ましがるなら、君の心の三昧(しずけさ)はバラバラに壊れる。 法句経365
【自分に与えられているものに幸せを見る】
君の手に与えられたものがたとえどんなにわずかでも、君がそこに幸せを見つけるなら、「足るを知る」充足感で心はきれいに澄んでいく。
そのきれいな心の波は、目に見えない高次の生きものたちを喜ばせて惹きつけるだろう。 法句経366
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