死は究極の救い
【死は究極の救い】⇐この言葉はある宗教映画のセリフである。
この言葉を考えた方がどういう意味を込めているのか分からないが、霊的真理に沿っている理にかなったワードであり、個人的にとても気に入っている。
【死とは……決して怖い現象ではない】
私たちは魂向上のために現世(修行場)へやってきたのです。
⇒そして何十年と修行場で厳酷苛烈な経験をする。その都度、魂は磨かれ神様との距離を徐々に詰めているのです。
【神性を備えた神の子】である私たちは、いつしか【大我に満ちた神様】のように成るべく現世を生き抜かねばなりません。
⇒死んだ方々は過酷な修行を終え、新たなステージへと旅立った“卒業生”なのです。
卒業(死)は悲しいことではありません。むしろ喜事である。己の魂がレベルアップした証拠なのだから。
——そして死を迎えた暁には、霊界で待つ本当の家族【グループソウル(類魂)】の元へと帰宅できるのです。
戦場(現世)から無事に自宅(霊界)へと戻る♪ ←これは“救い“だ。
戦場で命を落とすことなく、家族の元へと帰還できるのだから。
※イギリスの社会革命家【ロバート・オウエン】も死の直前に「――救いがやってきた」という言葉を残しているのだ。
グループソウルが居る場所へと帰れる。
それが理解できれば、死をむやみに恐れることはないのです。
死ぬとは・・・・・・救われることなのだから。
——霊界へ帰宅した折には「よく頑張ったね」と、称賛されるのです。
※だからといって”自殺”をしてはいけません。
⇒修行場の途中退場はあってはならない馬鹿げた行為です。 自殺をしても、その先にグループソウルはいません。眼下に広がるは漆黒の闇。
●自殺者のその後はブログ内の【自殺者の末路】を参照。
定められた寿命が尽きるまで紆余曲折しながら苦しみ、嘆き、感動し、修行をやり遂げるのです。
そして、ゴール(死)へ到着したときは守護霊と共に類魂が居る場所へと還ることができます。
幾度も体験できるわけではない死。これすら魂に刻まれレベルアップの助長になるはずだ。
▼死が訪れるまで修行場(現世)で執拗にもまれるのです。
▼スピリチュアル的に【試練の多い人生こそ幸福】なのだから。
⇒その分、鰻登りに魂は成長して、死後の世界では高次元の階層へと割り当てられます。
仮に、大切な人が屍になっても悼むことはありません。
長い年月をかけて現世学校を卒業したのですから、尊敬の眼差しで見送ることです。
“笑ってサヨナラ“をしましょう。
●高級霊である【シルバーバーチ】は人間の死に関して次のように語っている。
「死は地上の人間にとって恐ろしいことのようですが、私たち(霊界の魂たち)にとっては喜ぶべきことなのです。
赤ちゃんが地上へ誕生して行ったとき、こちらでは泣いて見送る者が大勢いるのです。そして、死んで肉体から解放された者を喜んで迎えているのです」
【死後の世界は……想念の世界】
⇒死んでしまった人に会いたいと想えば会えるのです。
死は——怖くも、痛くも、悲しくもありません。
死が訪れた時、嬉々とした態度で受け入れ、満面の笑みで新世界へ飛び立ちましょう!
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