霊の容姿
人間の前に姿を現す霊は脚がなく、白い衣服を着ているというイメージがあるのではないだろうか?
⇒霊は薄っすら透けているものもいれば、まるで生きている人間のようにハッキリと肉眼で目視できる外見の霊もいる。
果たしてこの違いとは何だろうか?
それは……”霊性進化の程度”です。
己が死んでいることに気づき、あっちの世界へ行かなければならないと理解した霊の容姿は透明度が増していくのです。
反対に人間と区別がつかないぐらい明瞭な姿をした霊は、成仏にまだまだ時間を要す。
死んだことに気づかず、死去前と同じように学校や職場に通って自宅へと帰ってきます。
(※普通は自分の葬式を見て死を察する)
そんな営みの中で徐々に自分が死んだことに気づき始めるのです。
⇒そこで死者には肉体など不要であり、本質は魂なのだという真理を会得して霊界へ帰還するのだ。
ということは、クリヤな霊のほうが霊的真理を教えた場合、承諾してくれる率が高い。。。
因みに、霊界にいる高級霊たちには姿形がありません。
【光だけの存在】です。
それはまるで晴天の日の太陽の如くギラギラと輝き、人間の目では直視できないほど眩い光。
霊性進化が順調に進んでいくと、魂が肉体は無用だと認知します。
あちらの世界(霊界)では私たちが使用している肉体など無益。
ですから、もっていても仕方がないのです。
人間界での修業時に意味を成すだけなので死後の世界では要りません。
あの世に持っていけるものは”経験や知識”など目に見えないものだけなのです。
魂に保存されたものだけが帰宅時に持ち込めます。
——最後に少しだけ”神”について。
神様には神という名があるが、それは人間が信仰の対象をなんと呼ぼうかと思慮した挙句に思いついた名前なのです。
霊界の会議で決めたことでも、神自身が主張しているわけではありません。
人間がネーミングしたのです。
そもそも神は崇高な存在なので、名称が欲しいという欲すらない。
宗教画などに描かれている神のビジュアルは想像にすぎません。
人間は名前があって可視化できるものではないと念を送れないですし、信じようとしないために多くの空想上の神の容姿が世に氾濫しているのでしょう。
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