真理は体得するもの
真理を言葉や文章でいくら必死に伝えても、本人が自らの意志で動いて体得しなければ、真理の真髄に触れることも納得することも取得することもできない。
心では「なるほど」と思っていても、実際行動に移して真理の中へダイブしなければ、それは真理を会得したことにはならない。
また、いくら真理を綴った言葉の羅列を読み込んだところで、真理の半分も会得できていない。
50℃の熱湯を手にかけると熱くて大火傷する。という真理を知ったとする。
だが、そこで満足してはダメ。
実際に熱湯を自分の手にかけて熱さを体感して火傷をしてみる。
そうすることで上記の真理を本当に会得したことになるのだ。
故に真の真理とは、人伝えに聞いたり、ベストセラー本を読んだりして知り得るものではない。
そこはゴールではなく、スタート。
スタートラインより知り得た真理を抱え、真理の真偽を自分で検証して肌で感じる。
それでこそ真理をゲットしたことになるのだ。
他者の言った事柄は定かではない。
その時点ではまだ真理(仮)状態。
己の肉体と精神と魂が味わったことこそ真理(本物)になる。
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