普通を疑え
世の人が言う普通は決して普通ではない。
そもそも普通の定義は決まっていないし、「普通とはこれ」という正解もない。
いくら権威ある学者が「普通とはこれだ!」と、主張してもそれは絶対に普通とはならないのだ。
これは浮浪者でも未成年でも主婦が言っても同一。
普通か否かは人それぞれの主観やイデオロギーで勝手に決定づけられる。
普通とは諸行無常。常に変動するものだと私は感じている。
その時、その環境、そこに集う人々によって普通が創造されていく。
以前は普通と位置づけられていたことでも、その時々によって非常識となり普通のレッテルが剥がされることもある。
かと思えば、異常だったことが時を経て普通と呼ばれることもあるのだ。
だから普通は常に動いている。いつも定位置があるわけではない。
俗世間が発する普通を疑え。
それが本当に普通なのか。
断定せず全てに疑問符を。
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